
従業員の引き抜きとは? 引き抜きによるリスク
従業員の「引き抜き行為」とは、ある企業に在籍している従業員を、他の会社や退職した元従業員などが、意図的にその企業から離職させ、自社や自ら関係する企業・事業へ移籍させようと働きかける行為をいいます。
簡単に言うと、「今いる会社から人材を連れていく行為」です。
(1)引き抜き行為の典型例
① 直接勧誘
在籍中の従業員に「うちに来ないか」「辞めたら高待遇にする」などと誘う行為
② 退職を助長する発言
「今の会社は将来性がない」「待遇が悪い」などと不満を意図的に煽る行為
③ 報酬や役職をエサにする
「給料を〇万円上げる」「役員にする」などと誘い、転職を迫る行為
④ 連絡網・人事情報の利用
元従業員が前職で得た従業員名簿などを用いて勧誘する行為
⑤ チーム単位で引き抜く
プロジェクトごと、部署ごとなど大量に引き抜く行為
(2)引き抜きによって生じる主なリスク
① 不法行為に基づく損害賠償請求
引き抜きが「社会的に相当な範囲を逸脱」している場合、旧勤務先から損害賠償を請求される可能性があります。
典型的な損害項目
●退職者の穴埋めにかかる採用・教育コスト
●プロジェクト中断・納期遅れによる賠償対応費用
●業務停滞による逸失利益 など
② 不正競争防止法違反(営業秘密の持ち出し)
引き抜きにあわせて、
●顧客リスト
●価格表
●技術情報
●社内マニュアル
などが移転する場合、不正競争防止法違反となる可能性があり、刑事罰(懲役・罰金)があります。
③ 元従業員の在職中の義務違反(競業避止義務・忠実義務)
●引き抜きが、退職前の従業員を巻き込んで行われた場合、その従業員は在職中に自社の利益に反す
る行為を行った(忠実義務違反)
●競業行為をした(競業避止義務違反)
として、損害賠償または懲戒の対象になります。
引き抜き側が「この違反行為に故意・共謀した」と評価されれば、引き抜いた企業にも共同不法行為責 任が問われます。
④ 事業運営への信用失墜(レピュテーションリスク)
競合会社からの引き抜きが露骨であったり、大量であった場合は、
「あの会社は人を奪う会社だ」
「取引モラルが低い」
と業界内に印象が広まり、取引先・金融機関からの信用が低下する可能性があります。
長期的ダメージは金額換算しにくいですが非常に大きいです。
⑤ 訴訟や仮処分による事業の停滞
実際に裁判となった場合、
●証拠収集・弁護士対応のための社内部リソース消費
●従業員への聞き取り・説明対応
●競業停止仮処分により、事業の一部が強制中断される可能性
があり、結果的に事業スピードが大幅に低下します。

従業員引き抜きは違法? 判断の境界線
従業員の引き抜きそのものは「職業選択の自由」や「企業間の人材獲得競争」の範囲として原則として合法です。
しかし、行為の方法・時期・規模・目的が一定のラインを超えると、不法行為(民法709条)などとして違法と判断され、損害賠償の対象となります。
以下は判例を踏まえた、裁判所が違法性を判断する際の基準です。
(1) 違法となるかどうかの「判断要素」
裁判所は、以下のような要素を総合的に判断します。
違法と評価されやすい例
① 勧誘した時期
勧誘が「在職中」に行われたか
退職前の従業員を仲間にして、他の従業員へ声掛けした場合
② 手段・態様(やり方)
相手企業を不当に貶めたか、強引か
「この会社は終わる」「社長が無能」など不満を煽る場合
③ 専門性・重要性
引き抜かれた従業員が会社の中核か
主要技術者・営業トップ・キーパーソンの転職の場合
④ 人数・規模
引き抜きで業務が回らなくなる規模か
一部署ごと、10名以上など大量引き抜き
⑤ 営業秘密の利用有無
顧客リスト・価格表・製造ノウハウ等の持ち出し営業秘密の持ち出し
→不正競争防止法違反(刑事罰あり)
(2) 典型的に「違法」とされるケース
① 在職中従業員を巻き込んだ引き抜き
例:退職前に「みんなで辞めて新会社に行こう」と内密に勧誘
→ 勧誘した側は 共同不法行為責任 を負う可能性が高い。
② 会社の事業運営に支障が生じる規模での引き抜き
裁判所は「会社の存続・事業運営に重大な支障」を基準にします。
例:小規模企業で、エース技術者3人を同時に移籍 → 違法判断例多数
③ 営業秘密を利用した引き抜き
顧客リスト・価格体系などが「持ち出し」されていた場合は、
不正競争防止法違反 → 民事 + 刑事(罰金・懲役)
(3) 違法性が否定されやすいケース(合法と判断される可能性が高い)
① 在職中の関与なし(退職後に声をかけた)
② 在職中義務に抵触しない人数が少ない(個別転職レベル)
③ 会社の業務に重大支障なし
④ 営業秘密の使用がない
⑤ 不正競争防止法の問題なし
⑥ 勧誘が節度ある方法で行われたモラル違反がない
在職中の従業員・取締役等による引き抜き行為
在職中の者には、会社に対して法律上の義務(忠実義務・競業避止的義務)があるため、その義務に反する形で引き抜きを行うと違法になります。
(1) 基本的な法律関係
従業員(雇用契約者)
信義則上の誠実義務:在職中は会社の利益に反する行為をしてはならない
民法1条2項、民法415条
(2) 取締役
忠実義務・善管注意義務:会社の利益を最優先する義務
会社法355条、330条
したがって、在職中に会社の利益を害する引き抜きは、義務違反 → 損害賠償責任につながる可能性
が高い。
(3) 違法と判断される典型的パターン
① 在職中に引き抜き計画・勧誘を行う場合
在職中は会社の利益に尽くす義務があるため、
以下の行為は 「忠実義務違反」「誠実義務違反」と評価されやすい。
● 退職前に同僚に「一緒に辞めて新会社に来ないか」と働きかける
● 内密に複数人へ声かけをし、退職時期を合わせる
● 新会社設立のためのメンバー集めを在職中に行う
→ 違法性が強く、損害賠償の対象となり得る。
② 会社の重要人材を狙った引き抜き
役職者・主要技術者・顧客担当者など、会社の事業運営に不可欠な人材が対象の場合、違法性が
高まります。
小規模事業で主要技術者3名を引き抜いた場合、裁判例上「違法性あり」とされやすい。
③ 会社の運営に重大な支障が生じる規模の引き抜き
裁判所は「会社が通常運営できなくなるか」を重視します。
④ 営業秘密(顧客リスト等)を利用した引き抜き
顧客リスト、価格表、技術データなどを利用して勧誘した場合、
不正競争防止法違反(民事 + 刑事)となる可能性が高い。
⑤ 取締役の場合はさらに厳格
取締役は会社の利益を優先する義務(忠実義務)があるため、
●在職中に同僚の引き抜きを主導する
●自分が辞める前から新会社の運営体制を整える
といった行為は、ほぼ確実に違法と評価されます。
→ 会社法423条 に基づき、損害賠償義務が生じうる

退職した従業員・取締役等による引き抜き行為
(1) 退職した従業員による引き抜き行為
退職した従業員による引き抜き行為とは、元勤務先の在職従業員に対して転職や移籍を働きかけ、競合他社や自ら設立した会社に勧誘する行為を指します。
退職後は在職中のような一般的な競業避止義務は弱まりますが、無制限に引き抜きが許されるわけではありません。
まず、退職者が元従業員を勧誘する際、その方法や目的が「不当な営業上の利益侵害」と評価される場合、民法上の不法行為責任が生じ得ます。
具体的には、会社内の中核的な技術者や営業担当者など、企業運営に不可欠な人材を計画的に、組織的に引き抜き、元会社の事業運営に重大な支障を生じさせるような場合が典型です。
また、在職中に得た顧客情報・価格情報・技術情報などの営業秘密を利用して引き抜きを行った場合は、不正競争防止法違反となる可能性があります。
さらに、退職者が在職中から水面下で勧誘準備を進めていた場合は、在職中の忠実義務違反が問題となり、損害賠償請求や差止めが認められる余地があります。
したがって企業としては、就業規則や誓約書に競業避止や守秘義務規定を整備し、情報管理および人員流出リスクに備えることが重要です。
(2) 退職した取締役による引き抜き行為
退職した取締役による引き抜き行為とは、取締役を退任した者が、在職時の人間関係や情報を利用して、旧会社の従業員を自らが関与する会社や競合企業へ勧誘する行為です。
取締役は在任中、会社に対して忠実義務・競業避止義務を負うため、在職中に引き抜き準備行為を行っていた場合には、会社法上の善管注意義務違反として損害賠償責任を問われる可能性があります。
他方、退任後は一般的に競業避止義務は継続しないものの、退任取締役が在任中に得た機密情報(人事情報・給与体系・顧客情報等)を利用して組織的・計画的に従業員を引き抜き、旧会社の事業運営に重大な支障を生じさせる場合には、民法上の不法行為責任や不正競争防止法違反が問題となり得ます。
特に、旧会社の中核人材を集中的に獲得し、事業の継続を困難にさせるような態様は違法性が高いと評価されます。
企業としては、退任時の競業避止特約・誓約書の整備、機密情報管理、キーパーソンの定期的フォローなどによってリスク対応を図ることが重要です。
違法な引き抜き行為に対して損害賠償請求する方法
違法な引き抜きに対して損害賠償を請求する手続きは大まかに次のとおりです。
(1)証拠確保
勧誘メールやLINE、通話記録、顧客名簿や業務資料の流出を示すファイル等を保存し、時系列で整理します。
(2)内容証明郵便
催告・差止めと損害賠償請求の意思を伝え、相手に改善を促します。
(3)仮処分(差止め仮処分)
裁判所に申し立て、勧誘行為の中止を求めます。
(4)損害の立証・算定
営業損失、逸失利益、人材補填費用などの損害額を算定します。
(5)民事訴訟提起
不法行為(民法709条等)や不正競争防止法に基づく損害賠償請求を提起します。 事案によっては刑事告訴や監督官庁への通報も検討できます。
時効に注意(不法行為による請求は一般に権利を知った時から3年、最長20年)。
証拠収集や法的手続きは専門性が高いため、早めに弁護士へ相談することを強く勧めます。
引き抜きの予防策
従業員の引き抜き(ヘッドハンティング)は、企業の機密情報や顧客関係の流出、人材流動による業務停滞などを招くおそれがあり、事前の予防策が極めて重要です。
(1) まず、雇用契約・就業規則による防止が基本です。
具体的には、退職後一定期間、同業他社への転職や取引先・顧客・従業員の勧誘を禁止する「競業避止義務」「勧誘禁止条項条項)」を明記することが有効です。
これらの条項を有効に機能させるには、禁止期間・地域・対象業務を限定し、合理的範囲にとどめる必要があります(過度に広範だと公序良俗違反で無効となるおそれがある)。
(2) 次に、社内教育と組織風土づくりも欠かせません。
従業員に対し、顧客情報や人材情報の持ち出しが不正競争防止法や個人情報保護法に抵触し得ることを定期的に周知し、機密保持契約の重要性を浸透させる必要があります。
また、円滑な人間関係や公正な評価制度を整備し、「辞めたくなる職場」を作らないことが根本的な防止策となります。
さらに、技術的管理策として、顧客データ・社内名簿などのアクセス制限、退職者のアカウント停止、外部記録媒体へのコピー制御などを徹底することも有効です。
最後に、退職者による引き抜き行為が確認された場合には、速やかに証拠を確保し、内容証明による警告、損害賠償請求や差止請求などの法的措置を検討します。
これらの予防策を多層的に組み合わせることで、企業は人材流出リスクを最小限に抑えることができます。
弁護士にご相談ください。
従業員の引き抜きは、企業にとって人材流出だけでなく、顧客離れや機密情報の漏えい、取引関係の混乱など深刻な損害をもたらすおそれがあります。こうした問題に対しては、弁護士に相談することが非常に重要です。
まず、法的リスクを正確に判断できるという点が挙げられます。
引き抜き行為が不正競争防止法、労働契約法、民法上の不法行為などに該当するかどうかは、行為の態様や当事者関係によって異なります。
弁護士に相談することで、事実関係を整理したうえで、違法性の有無や立証の見通しについて専門的な判断を受けることができます。特に、退職者や競合他社による巧妙な勧誘行為は法的評価が微妙なことが多く、専門家の助言が不可欠です。
次に、有効な予防策を設計できるという点です。
弁護士は実務経験に基づき、採用契約や就業規則に「競業避止義務」「勧誘禁止条項」「秘密保持義務」などをどのように定めるべきか、具体的にアドバイスすることができます。これらの条項は、期間・地域・対象範囲を合理的に限定しなければ無効となるおそれがあるため、専門的な文言調整が必要です。
さらに、引き抜きが実際に発生した後の対応においても、弁護士のサポートが有効です。
証拠の収集方法、内容証明による警告書の作成、交渉による早期解決、あるいは損害賠償請求・差止請求といった法的手続の進め方まで、適切な戦略を立てることができます。
このように、弁護士に相談することで、企業は法的に有効で実効性の高い引き抜き対策を講じることができ、予防から紛争解決まで一貫したリスク管理体制を整えることが可能になります。


Last Updated on 12月 8, 2025 by kigyo-kumatalaw
この記事の執筆者:熊田佳弘 私たちを取り巻く環境は日々変化を続けており、様々な法的リスクがあります。トラブルの主な原因となる人と人の関係は多種多様で、どれ一つ同じものはなく、同じ解決はできません。当事務所では、まず、依頼者の皆様を温かくお迎えして、客観的事実や心情をお聞きし、紛争の本質を理解するのが最適な解決につながると考えています。どんなに困難な事件でも必ず解決して明るい未来を築くことができると確信し、依頼者の皆様に最大の利益を獲得して頂くことを目標としています。企業がかかえる問題から、個人に関する問題まで、広く対応しています。早い段階で弁護士に相談することはとても重要なことだと考えています。お気軽にご相談にお越しください。 |


